[p.0521][p.0522]
奥州会津四家合考
七附録
義光与政宗自搦手向会津事
尭恒が次に貞秀と雲者あり、此時より檜扇易に真羽お絵て紋とす、元は獅子に牡丹(○○○○○)なり、彼が替へたる子細は、貞秀勇名あり、故に建久の比、後鳥羽院被召之時に、朝鮮より献鷲羽、帝羽二枚お檜扇に載て賜貞秀、是お栄として家の紋とす、是より家の庶子は、檜扇に鷹羽お画くと也、