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太平記

時政参籠榎島事
鎌倉草創の始、北条四郎時政、榎島に参籠して、子孫の繁昌お祈りけり、三七日に当ける夜、赤き袴に柳裏の衣著たる女房の端厳美麗なるが、忽然として時政が前に来て告て曰、女が前生は、箱根法師也、六十六部の法華経お書写して、六十六箇国の霊地に奉納したりし善根に依て、再び此土に生る事お得たり、去ば子孫永く日本の主と成て栄花に可誇、但其挙動違所あらば、七代お不可過、吾所言不審あらば、国々に納し所の霊地お見よと雲捨て帰給ふ、其姿おみれば、さしも厳しかりつる女房、忽に伏、長二十丈計の大蛇と成て、海中に入にけり、其跡お見に大なる鱗お三つ落せり、時政所願成就しぬと喜で、則彼鱗お取て、旗の紋にぞ押たりける、今の三鱗形の紋是也、