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奥州葛西実記
文治四戊申年七月十七日、源頼朝公、奥州へ御進発、〈○中略〉同九月三日、御館泰衡被誅、同十月廿四日、頼朝公鎌倉へ帰る、援に関東下総国住人葛西三郎清重、依戦功頼朝公賜奥州五郎、同年十一月中旬、関東お立、東海お船にて牡鹿郡石の巻へ著岸、初知入領地見之祝とて、陸地にて酒宴お催す、酒宴半ばの事なるに、虚空より三つ葉の柏吹下り、清重手に扣へる盃に影うつり席に落、清重太郎盃の台にして、猶酒宴お祝し、目出度とて家の紋になせり、葛西の三つ柏の紋是也、