[p.0532]
筑紫軍記

一条康政卿被狭家臣出奔之事
元親先祖は、秦の始皇帝の末孫、本朝に来服して朝廷に仕へければ、秦氏と称す、十五代の裔孫、川勝秦大臣広隆、〈聖徳太子の臣〉其末流秦能俊、始て土佐の国に下り、長曾我部江村の庄廾枝郷野田吉原お給領す、此時綸命お蒙て参内しけり、則尊盃お頂戴す、其盃中に鳩酢草一葉浮ぶ、是お拝して家の紋とす、