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塩尻
二十九
一葵の御紋〈○徳川家紋〉 源尾敬公、御相伝の御説に曰、源頼義の御嫡男義家お、石清水の御氏子として八幡太郎と称す、当社の神紋お摸して、鞆紋お御旗の紋とし給ふ、
御次男義綱は、賀茂社の御烏帽子子に擬へ、賀茂の次郎と称し、ひとつ葵お、旗の紋とし給ふ、
御三男義光おば、三井寺の新羅明神の烏帽子子に擬へ、新羅三郎と雲、彼神衣の紋お以て、割菱お紋とし給ふ、
義家の御裔新田家、大中黒の御紋は、根本幕なり、鞆絵は御家の秘紋として、徳川家へ伝へ玉ひし、親氏公、三州加茂郡入御の後、勢盛んに御子数多生れさせ給ひし、郡名により加茂の朝臣と称し、御家の鞆絵の御紋お、葵に書なし給ひて、御一流の御旗幕に付させ給ふ、是今の葵鞆絵の御紋なりと雲々、丸は大権現御末年の時より付させ給ふよし、葵鞆絵如此、〈○図略〉共秘設也、努々不許他見他聞者也、