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有徳院殿御実紀附録
十七
ある時、小姓岡村丹後守直純おもて、大目附有馬出羽守純珍に仰ありけるは、釘抜松河黄紫紅といへるは、三浦家の紋なるよし、いかなる子細あることにか、阿部豊後守信峯が家人松原左大夫〈留守居役お勤む〉は、何事となく老練の者にて、諸家にも広く往来すと聞けり、女が申すごとくにして彼に尋ぬべしとなり、出羽守うけたまはり、其夜松原がもとに赴き、かくと申けるに、松原も譜記すべきにあらざれば、つぎの日、三浦志摩守義理が家にもとひ、又諸家おも尋たるに、三浦が先祖平六左衛門義村が、常に用ひし幕、五布の内の中、三布お黄紫紅にそめ、上下白くせり、その後衣服にもこれお紋としたれど、あまり美麗に過ぎたれば、上下の白きところお丸に直し、黄紫紅お三引のさまになして用ひしなりと聞えあげしかば、松原が常に諸家に交はり、何事も習熟しければこそ、かヽること尋しにも速に答へれと仰ありて、御感お蒙りしと、今も彼が家にいひ伝へたり、