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本朝軍器考
四/弓矢
須佐能乎命の御子磐坂日子命国巡行ます時に、出雲国恵曇(えとも)郷に至まして、国の形画鞆のごとくあるかなとのたまひしより、かくは名づけしよし彼国の風土記には見えたり、さらば神代のむかしより、鞆にはかならず絵かくものにや、まさしき物おばいまだ見ねど、近比大神宮に進らのせられし、御鞆の国おば見る事お得たりき、その形もその絵かきしものも、共に世にいふ鞆絵といふ物には似てけり、〈世にともえといふものは、水のさづまく形なれば、巴の字お用ふといふなり、されどもふるき物に、皆鞆絵としるせり、但し吉部秘訓に図せし所は鞆絵かきし物にはあらず、〉