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甲子夜話

中川氏の家紋に、 此ごとき紋あり、彼家には轡くづし、又くるすとも雲と聞く、予窃に思ふ、彼先瀬兵衛の頃は、南蛮寺、盛に行はれて、瀬兵衛も此宗なりしと雲、然ばこの紋は、彼の崇奉する所の十字聖架なるべし、今轡くづしと謂は、忌諱お避るなるべし、又くるすと雲も、きりすの蛮語転ぜしにや、一日此ことお松平冠山〈因幡鳥取の支侯〉に語れば、曰く吾家に この紋お用ること、由緒詳ならず、伝る所は、天王より拝領せし紋なりと雲、世上には祇園守と雲なれど、思に中川の紋の類にて、恐くは十字ならん、天王の王は、主の字なりしも計がたし抔話りて、一咲して止ぬ、又思に両氏の紋、いかにも蛮物の象おなせり、薩の轡紋も、やはり十字と見えたり、封内霧島山の絶頂に建る、天の逆鉾と雲もの、これ亦彼徒の立し十字なるべしと或人雲しは、げにもとぞ思はるれ、