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寛永諸家系図伝
百十七
竹中
康忠
孫七郎、後に七九郎と号す、生国同前、〈○三河〉
東照大権現、三州岡崎に御座のとき、隣国さわぎたちて、たヽかひやむ事なし、康忠本より射芸 お得たる故、其名お矢にきざみ、数百の敵おふせぐ、その矢にあたりて、疵おかうふり、命おおと すもの数十人、敵その精兵錬士の器量お感じて、はなつところの矢六十三おとりあつめ、又疵 おかうふり死するものおしるして、我が陣におくる、大権現、これお御覧じ、其武勇お感じ給ひ、 御諱の康の字お給はり、其上旗文に六十三の字おつけ、〈○下略〉