[p.0567][p.0568]
羽倉考

菊紋等愚考六条
凡衣服器物等に枚お附る事は、至りて近世の事なるべし、一条院以来、小袖お著すと雖、紋の事は記録等にいまだ見及ばず、たヾ車の紋ありと雖、家に依て定まりある事には非ず、建久の比より、陣屋の幕に紋お附て、各其陣屋の標とし、後世に至りて、小袖などにも之お用ふるなるべし、仍て近世までも、猶碁の紋と称せらるにや、塵添壒囊抄に、武士の慕の紋の字と記せり、此抄の比までも、幕より外の物には附ざると見えたり、又袍直衣以上の綾に、草木虫鳥などお織事も、上代には定まりたる事なき故歟、令式等には不載、中古以来、如此の事までも、流例に従ふお故実と為来る故に、摂籙の袍は雲立涌、太閤の袍は雲鶴などヽ定まりて、文様の大体員数も極りある様に為り来れども、必ず此外は袍の紋に用いずと雲にはあらさるべし、然して中古以来の諸抄、文の形状、及用ふる人、用ふる時などおば記したれども、本より先例に従ふばかりの事なれば、何なる義お以て、此紋お用ふるなど雲事は、百分の一二に不過、仍て僻案而巳にして所見なし、其初お思ふに、今の婦女の小袖の模様の如く、各其人の欲するに従へるなるべん、必義ある事とせんは鑿なり、