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安斎随筆
後編十
一鞆絵(ともひ)輪鋒 〓字(りんぼうまんじ)お神の紋とす 上古弓射る人、左の腕に鞆と雲物お著、革お以て作り、其形円にして、腕に当る所は平にして、腕に巻く革ありて緒お付く、是弓弦の腕お弾くお防ぐ器なり、〈○中略〉伊勢の神宝に献ぜらるヽ鞆は、鹿の皮にて作て、白きに紋お黒く画く、延喜式の兵庫寮式に見たり、上古鞆張と雲工人有て鞆お作りしが、後代は其工人絶てなきに依て、神宝の鞆お木にて形お作り、黒く塗て、銀泥にて紋お画く、今如此し、さて其紋に、古今ともに即ち鞆の形お三つ寄せて円く画くなり、鞆の形は、左の図の如し、
鞆の形如此なり、此形お似せて、 如此して、是お三つませて円く画けば、三つど もえの紋となるなり、鞆の絵なるゆへ、ともえと名付るなり、右に雲如く、神宝の鞆 に、此絵お画く故、俗に鞆絵お神の紋と雲習はせるなるべし、然れども伊勢神宮に献ぜらるヽ神宝種々あれども、外の神宝には鞆絵お画く事なし、武家の紋と称するがごごく、鞆絵お神の紋と雲は俗説なり、 輪鋒おも俗に神の紋也と雲、此紋見たる体は、剣お十六柄集め、柄お内に向け、鋒〈きつさき也〉お外へ向け円く並べ、輪のごとく置たるやう見ゆる故、輪鋒と名付くれども、詳に見れば剣には非ず、仏家に用る所の独鈷と雲物お、八つ打ちがひたる形也、独鈷の頭画かきては三角にて、剣の鋒に似たり、故に誤て輪鋒と喚ぶ也、出羽国の羽黒山の不動袈裟に、此紋お金にて打て付るも独鈷にて作りたる紋なるが故なるべし、是お神の紋とするは、かの神と仏とおあへまぜにする両部の神道にて用る也、 〓字おも俗に神の紋也と雲、真俗仏事編に、按華厳十地品、十地菩薩の胸億に有卍字、又雲、如来の胸に大人相あり、其形 〓字の如し、此れお吉祥海雲と名づくと雲々、飜訳名義集雲、按卍字、本非字、大周の長寿二年、主上〈則天皇后〉権に制此文、著於天枢、音之為万雲々、是又仏家に用る字なれば、神の紋と雲も、両部神道の俗説也、神おも人間のごとくに心得て、紋お定るこそおかしけれ、武家の定紋替紋とて、二つも三つも用る事ある故、神にも鞆絵輪鋒 〓字の三つお神の紋と定しなるべし、神の紋と雲ふ事、令式国史、其外正しき古書には曾て見へず、唯後代の俗事なり、