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筆のまに〳〵

神の紋所
祇園の氏子は、木瓜お喰ぬといへるは、神の紋なればなりと、是も元来織田信長、京都の仕置おなし給ふとき、祇園の社お建立なす故に、則其家の紋お以て、屋根の 〓など、其外奉納の品々に、織田の紋お附られし由、今も御寄附とて、神社仏閣にも葵の御紋あるに等しく附たり、みな瓜の紋なり、織田は瓜の紋ゆえ、其形ち瓜の切口に似たれば、木瓜と心得たりといふ、おかしき話なり、瓜にはあらず、窠なり、和訓ほのすとよむ、ほのすとは、鳳凰の巣といへる事にて、鳳凰は鳥の王なれば、天子の御顔ばせお鳳顔とも竜顔ともいふ、御車お鳳輦といひ、御所お鳳闕といふ、斯る尊きもの成故に、装束の地紋などに此紋あり、大刀にすがるの大刀といふあり、柄頭に鳳風あり、是鳳の巣お出たる形ちなりとぞ、仞また都て神の紋といふ事、元来なかるべし、然ども当時神仏の紋所には、卍巴輪など、其神の紋となして用る事、是等はいづれよりか書始め、いづれより書終るといへる所知れ難し、是神の徳は始めもなく終わもなし.環の端なきが如く、とこしなへに虚然として、誠心お以て祭る時は、来格あるに象る所にやあらん、援におかしき一話あり、本所総鎮守の牛の御前王子権現の紋は、剣かたばみに菊お用るなり、是はむかし、紋お附たるが剣かたばみにて有しおもて、牛の御前の神紋となせしとぞ、菊は後に、何ぞ由緒ありて付たるにや、