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有徳院殿御実紀附録
十七
有馬出羽守純珍、御前に出し時、朝比奈三郎義秀が紋は、何なるかと御尋ありしかば、鶴の丸とうけたまはりしと申けるに、そは中村勘三郎といへる俳優が、はじめて朝比奈が狂言せしとき、おのが紋おつけしより、あやまりて世人皆鶴の丸お朝比奈の紋と覚えたるなり、朝比奈が紋は、草合とて稲束お打ちがへしものなりし、その図おかヽしめて下されしかば、出羽守甚だ感佩し、初て承りぬと申て退きしに、なほしばし留め玉ひ、我さきに日光山に参りし時、番士のうちに、かヽる紋おそめし幕の有しかば、其名おとはしめしに、小林源五郎正寿とて、朝比奈が子孫にて、古へより数世、この紋お用ひ来れりと申しヽおもつてしるべしと仰有りければ、出羽守、いよ〳〵感服してまかでけり、