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人名考
本朝の人の名、漢字お用ひられしより此かた、或は文字の音お以てしるし、 欝色雄(うつしこお)命など雲類なり、後代にて不比等(ふひと)、武智麻呂(むちまろ)などの類また同じ、或は文字の訓お以てしるし
大彦(おほひこ)命などいふ類なり、後代にも入鹿(いるか)、鎌足(かまたり)などの類またおなじ、
或は文字の音と訓とお以て併せしるし
吉備津彦(きびつひこ)の類は、上二字は音なり、下二字は訓なり、後の代にも藤原の長良(ながら)など、上は訓なり、下 は音なり、
其人々の意の欲する儘にしるしければ、文字の数も定らず、
不比等お不比登としるし、馬養(うまかひ)お又宇合(うかふ)としるし、長谷雄(はせお)おまた発昭(はせお)としるせし類は、一人の 名お、或は音にてもしるし、或は訓にてもしるせしなり、古より本朝の人々の名おつきしにも、 異朝の如く五つのいはれありと見えて、是等の事、悉く考て呈せむと思ひ、草按おば立置しも のあり、事長ければこヽにはしるさず、
五十四代の帝、仁明天皇の御時より、始て今の代の人の名の如く、多くは文字の訓おとりて、二字お用る事にはなりたり、
此事は神皇正統記に見ゆ
されば昔の人の用ひし処は、定れる文字もあらず、多くは聖経賢伝の文字お取用ひて、皆々意義ある事共にてありし、世の末ざまになるに随ひ、文字やヽ廃れしより、世の人多くは、古人の名に用ひし文字のみお取用ひ、己が名とするほどに、その名とする所、意義もなく、自から文字も定れる様にはなりたり、ましてや近き代にて、西域二合の法に倣て、二字お合て一字となし、其一字の義訓の吉凶お論ずる事にのみ成りしかば、〈俗に名乗字お帰すといふ事なり〉人の名、尚々むかしにも似ず、あさましき事には成りたるなり、
右は名の字に、定れる字と雲ことはあらざる証の一つなり、
前に申せしごとくに、古には人の名の字、定れる文字はなかりき、末の世に至りては、自から儒家の人々の家に、抄し置れし所の文字もありしにや、文和の初め、御光厳帝の御名字お撰ませられし時に、成の字お房(ふさ)と訓ずる事、名字抄にみえたるよし、菅三位在成卿の申せし事おしるせしものあり、
洞院大相国〈○藤原公賢〉の御記に見ゆ、後光厳帝は、九十九代にあたらせたまふ、此頃は太平記の代 にてありしなり、
されど今は、名字抄などいふものも、世には伝はらず、
節用集、〈○中略〉拾芥抄、〈○中略〉などいふものに、人の名字お集め置し、世に広く行はるヽほどに、世の人皆これらの書お拠となして取用ひる事に成りたり、油小路故大納言隆真卿ののたまひしは、近代の人の名、殊に浅ましきものに成りたり、拾芥等の書に抄出せし所は、いかなる事お拠となして、僻る字多く集め置きけん、心得られず、周公の撰ませ給ひしといふ、爾雅の字お取用ひたらんには、然るべき文字いくらもありなんとぞ、
隆真卿の説は、某〈○新井君美〉に神書お授けし人、まのあたり承はりしよしお申しき、此卿は近代の 有職の人にておはしき、
いはれある事とこそ覚ゆれ
右は近世の人の名の字よからず、又人の名に定れる文字あるまじき証の二つなり、
又師〈○木下順庵〉にて候し者の、某に窃に伝へ候しは、天子の御名は、凡人の名に、となふる所と同じかるべからざる由、ある有職の人の仰せられき、
何人の仰にかと、重ねて問返し難かりし故に、其人の名おばついに承らざりき、口惜き事なり、 此事お思ふに、たとへば御水尾院の御諱政仁お、まさひとヽは申さで、ことひとヽ申し、今の仙洞〈○霊元〉の御名お、識仁としるして、のりひとヽは申さで、さとひとヽ申の類なるべし、
さては将軍家の御名など撰申さんには、心得あるべき事也、我国に伝はるのみにもあらず、異朝の後の代までもしるし伝ふべければ、いかにも経書の文字お取用うべし、たヾに経書の字お取用ひんのみにもあらず、唱へまいらする所も、心得あるべきよしお申き、
今按ずるに、室町殿の代々の御諱に、読得がたき事ありとぞ覚ゆる、宝篋院殿の御諱お義詮と申き、詮の字お教(のり)と唱る人あれど、普広院殿お義教(よしのり)と申まいらせしかば、いかで其祖考の御諱に同じき唱の名おば付させ給ふべき、又詮の字お昭(あき)と唱る人あれど、霊陽院殿お義昭(よしあき)と申まいらせしかば、是も先祖の御諱におなじきとなへの名は付させ給ふべからず、拾芥節用等お見るに、詮の字の訓に、教と昭との外に、別の訓も見えぬは、宝篋院殿の御諱は、必らず別なる訓のありしお、世の人其伝お失ひしなるべし、〈追て拾芥抄お考るに、詮の字としと訓ず、蓋宝篋院殿の御諱、よしとしと申せしにや、猶たづぬべし、〉
大塔宮の御諱お護良としるして、もりよしと世には雲伝へたれど、実はもりながと申まいら せき、是等また同時の事なれば、義詮のとなへ、必らず世に雲伝るがごときにあらじ、
是等の事お思ふに、先師の伝へし所、誠に誣ずとすべし、
右は名の字に、定まれる字なきのみにもあらず、唱る所も定れるとなへなき証の三つなり、