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本邦名字説
凡そ物必名あり、飛潜動植器物に到るまで皆名あり、況や人に於ておや、人の名あるは自然なり、宇宙の間、凡そ人類、すべて名なくんばあるべからず、但周の世、文お尚て、元服して字あり、其後襲ひ来て皆然り、本邦古より字(あざな)なし、中葉遣唐使ありてより、唐のことお見習ひ、事多く唐礼に従ふ、紀寛〈紀長谷雄〉文琳〈文屋康秀〉の類の字あり、然れども文字お好む人のみにして、公家武家、一同に然るには非ず、此方にては字は無くても事かけぬこと乎、それより已来、世に字つく者なし、近世天下一たび治て、文化漸く盛なり、故に書お読むもの字つく、然れども字の称しやう一ならず、何れも鴻儒のせらるヽことなるゆえ、黄口敢て議しがたし、但私に愚見お記して子姪につぐるのみ、凡そ世の字お称する人、名乗は信定にして、名は瑶、字は温夫なるあり、此れ一なり、又交名喜右衛門、名乗義方なるお、名は喜、字は義方とするあり、此れ二なり、又小名与次なるお、名は誉、字は彦声とするあり、其説に、内則に雲如く、小児の時、父の名づけたるが実の名なりと、此れ三なり、又交名忠助、名乗維弼なるお、名は維弼、字は中輔とするあり、此れ四なり、又交名源兵衛なるお、名は源、字は子澄とするあり、此れ五なり、又交名茂介なるお、名は懋、字は伯徳とするあり、此れ六なり、又名乗長英なるに、此れお字として、それに縁お取て名お俊とするあり、此れ七なり、愚謂此七様、共に世上一同の通例としがたし、疑ふべきなり、先一つに、名乗と名と二つあること訝かし、吾邦凡そ事訓お以て行はるヽ、人も実名は名乗とて、訓お以て称するなり、瑶の字の類、名乗の訓によまれぬ字お用ること、本邦の風に非ざるに似たり、又二つに喜右衛門と雲は、喜の字、本は紀の字にて紀姓なり、初兄弟の次第にて、太郎次郎と雲、或は姓お上に冒ふりて、源太、平二郎、紀次郎と雲もあり、平蔵は平三なり、唐の人、李三郎、杜五郎と雲が如し、六位の衛府になれば、左右の衛門兵衛、それ〴〵に又其姓お上に冒むらしめて、紀姓なれば、紀右衛門と称するなり、唐にて韓吏部、杜拾遺と雲が如し、それ故此方にても交名と雲なり、源平藤橋よりして、菅原の菅、大江の江、清原の清、中原の中、丹治の丹、惟宗の宗の類、後に橘お吉と書かへ、菅お勘とし、江お郷とし、中お忠とし、宗お総とするなり、その後物数奇次第に交名おつきて、吉兵衛、忠右衛門と雲ひ、紋太郎、無理之介と雲ふにいたる、本は姓なることお知らぬやうになり来るなり、又人により太郎二郎なるもの、太郎左衛門、二郎右衛門卜称するもあり、今喜右衛門の喜お名とする時は、姓おば名とするなり、或は太郎左衛門、二郎右衛門は、名お太とし二とすべきや、又は太郎の子、小太郎、或は又太郎、或は新太郎、その子孫その子弥太郎なり、左衛門の子、小左衛門と雲、孫彦弥も同じ、右衛門、兵衛、大夫、此に準ず、次郎の嫡子は、次郎太郎と雲、小四郎左衛門、平六兵衛、小平六と雲もあり、北条四郎時政の子、義時お小四郎と雲も然り、然類上の字お摘て、何とて名とせらるべきや、名乗義方お字とすること訝かし、喜右衛門は交名なれば、実名は名乗義方なり、実名お字とすること従がひがたし、又三つに、小名与次なるに、画おそへて名お誉とすること訝かし、そのまヽ与次お実名とするにも非ず、上の一字お切取て、又画お添る時は、今又作為するなり、況や与の字、本は余の字にて、兄弟の次第、十に余りて十二番目の子お余次と名づく、那須余一は十二番目の子なり、故ありて十一となる、余お略して余とし、終に転じて与となりたるなり、此れお名とすること、いぶかしきことなり、小名千代丸、三四郎、牛之介、何と名お称せんや、又四つに、忠助お書かへて、中輔お字とすること訝かし、忠助は本中原なる人、介ならば如此称すべし、何之介は、或は受領の介より転じ、何之丞進は、百官の下づかさより転ず、何内は、昔しは内舎人なる人のつきし名なり、何平は、兵衛の転ずるなり、交名なれば、師又は賓のつけたる字にも非ず、況や書かふること作為にわたる、太郎、二郎、衛門、兵衛、大夫おつきたる人、いかヾ書かふべきや、又五つに、源兵衛の源お名とすること、前に雲如く、姓お名とするなり、その外みな前に詳なり、それの縁おとりて、字お子澄とすること訝かし、茂介の茂お、音の通ずる懋に書かへて名とすること、此れ又作為なり、太郎兵衛、二郎介、その外前に雲如きおいかヾ字の縁おとり、いかヾ音の通ずる字に書きかへんや、名乗長英なるお字として、名お俊とすること、字は名によりてこそつくべけれ、字よりして名おつくる訝かし、此七つ、何れも一同に例お推して行なひがたきに似たり、或は古へは古へのこと、今の称する所によりて義お取ると雲ふべきや、然れども世上一同に、字と雲ふものつくことに非ず、書お読むものヽすることなれば、古へお推して、本おたヾさぬと雲ふこともあるまじきことなり、愚意本唐山必しも 強ひて引きあはせずとも、交名は交名にして、姓お冒むることお忘れたることは、流風なれば是非に及ばず、名乗お本として、字は本邦の風には無しとすべきなり、もし書およむもの字おつくならば、名乗が実名なるゆえ、此れに縁お取りて字おつくべし、韓吏部交名、紀右衛門と雲ふが如し、愈は実名なり、此方の名乗義方と雲ふが如し、退之は字なり、此方には無きことなり、此通りにて平易なるに似たり、