[p.0632][p.0633]
古事記伝
二十
凡て古の御代々々の王等〈皇子皇女男王女王等お、古は凡て王と雲へり、〉の御名に、種々の色あり、今茲に其大概おいはヾ三種なり、一には由縁に就て諸物名など以てつけられたる、二には居地名お以申せる、三には美称(ほのたヽへ)て付奉れるなり、王等のみならず、凡人の名どもヽ、大方此三種なり、さて此三色の例お一〈つ〉二〈つ〉づヽいはヾ、垂仁天皇の御子、火中(ほなか)に生坐し故に、本牟智和気(ほむちわけの)御子と著られ、景行天皇の御子、双生坐るお、父天皇異坐(あやしみ)て碓(うす)に告(ことあげ)し給へりし故に、大碓(おほうすの)命小碓(おうすの)命と申し、応神天皇は生坐し時に、御腕に鞆(とも)のごとくなる御肉の坐ける故に、大鞆和気(おほともわけの)命と申し、仁徳天皇と建内宿禰の子と、同日に生坐て、木兎(つく)と鷦鷯(さヾき)との祥ありしに因て、其祥お相易て、御子お大鷦鷯(おほさヾき)、建内宿禰の子お木兎(つく)と名け坐し、清寧天皇は生坐ながら、御白髪坐ける故に、白髪(しらがの)命と申し、反正天皇は御歯の奇(くし)びに坐しに因て、水歯別(みづはわけの)命と申しヽが如きは、由縁の物名お取て著け奉れりし証例なり、又聖徳太子は厩の戸にして生れましヽ故に、厩戸(うまやど)と申し、天武天皇の御子大伯(おほくの)皇女と申しヽは、備前国の大伯(おほくの)海にして生坐しヽ故の御名なる、是等も処名ながら、猶由縁に就きたるなり、次に開化天皇の御孫、沙本毘古(さほびこの)王の沙本(さほ)に坐し、〈此王、垂仁天皇お殺せ奉らむと謀ける時に、天皇の大御夢に、抄本(さほ)の方より暴雨降来と見坐しヽこと見ゆ、〉応神天皇の御子、宇遅能和紀郎子(うぢのわきいらつこ)の山代の宇遅(うぢ)に坐し、仁賢天皇の御子春日(かすがの)山田〈の〉郎女の春日(かすが)に坐し、〈書紀継体〈の〉巻に、勾〈の〉大兄〈の〉皇子の此皇女お妻問坐る御歌に、春日(はるひ)の春日(かすが)の国にくはし女おありと聞て雲々、〉雄略天皇の大后、若日下(わかくさかの)王の河内の日下(くさか)に坐る、〈天皇此后の御許に、日下に幸行しヽ事見えたり、〉又此天皇長谷(はつせの)宮に坐しヽ故に、大長谷若建(おほはつせわかたけの)命と申し、安康天皇は石上(いかみの)穴穂(あなほの)宮に坐る故に、穴穂(あなほの)命と申しヽ類は、皆居地名お以申せる証例なり、又舒明天皇の御子、蚊屋(かやの)皇子は、吉備国の蚊屋(かやの)采女が腹、天智天皇の御子、伊賀(いがの)皇子は、伊賀(いがの)采女が腹より生坐る、此等は御母の本郷の名お取れる御名と聞えたり、