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太平記
三十三
新田左兵衛佐義興自害事
奥州の国司顕家卿、陸奥国より鎌倉へ責上る時、義貞に志ある武蔵上野の兵共、此義興お大将に取立て、三万余騎にて、奥州の国司に力お合せ、鎌倉お責落して、吉野へ参じたりしかば、先帝〈○後醍醐〉叡覧有て、誠に武勇の器用たり、猶義貞が家おも可興者也とて、童名徳寿丸と申しお、御前にて元服させられて、新田左兵衛佐義興とぞ召れける、