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宇治拾遺物語

今はむかし、丹後国に老尼ありけり、地蔵菩薩は、あかつきごとにありき給ふことお、ほのかにきヽて、暁ごとに地蔵見たてまつらんとて、ひとよかいまどひありくに、博打のうちほうけていたるが見て、尼公は、さむきに何わざし給ぞといへば、地蔵菩薩のあかつきにありき給ふなるに、あひまいらせんとて、かくありくなりといへば、ぢざうのありかせ給ふみちは、我こそしりたれば、いざ給へ、あはせまいらせんといへば、あはれうれしきことかな、ぢざうのありかせ給はん所へ、我おいておはせよといへば、われにものおえさせ給へ、やがていて奉らんといひければ、此きたるきぬたてまつらんといへば、いざたまへとて、となりなる所へいてゆく、あまよろこびていそぎ行に、そこのこに、ぢざう(○○○)といふ童ありけるお、それが親おしりたりけるによりて、ぢざうはと、とひければ、おやあそびにいぬ、いよきなんといへば、くはこヽなり、地蔵のおはしますところはといへば、あまうれしくて、つむぎのきぬおぬぎてとらすれば、ばくちうちはいそぎてとりていぬ、〈○下略〉