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太平記

主上御夢事附楠事
主上〈○後醍醐〉笠置へ臨幸成て、〈○中略〉当寺の衆徒成就房律師お被召、若此辺に楠と被雲武士や有と御尋有ければ、近き傍りに左様の名字付たる者ありとも未承及候、河内国金剛山の西にこそ、楠多門兵衛正成とて、弓矢取て名お得たる者は候なれ、是は敏達天皇四代の孫、井手左大臣橘諸兄公の後胤たりといへども、民間に下て年久し、其母若かりし時、志貴の毘沙門に百日詣て、夢想お感じて設たる子にて候とて、椎名お多門(○○)とは申候也とぞ答申ける、