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言丈雑記
二/人名
一今の世、何兵衛、何右衛門、何左衛門などお、百官名にてなしと心得たる人有、あやまり也、兵衛、右衛門、左衛門は、皆官の名也、源氏の人、兵衛の官になりたるお、源兵衛と雲、平氏は平兵衛、藤氏は藤兵衛、橘氏は吉兵衛也、〈橋と吉、同意也、〉右衛門、左衛門も是に准じ知べし、又太郎の人は太郎兵衛、二男は次郎兵衛、此外もおして知べし、〈清原氏は清兵衛、三善氏は善兵衛、文屋氏は文兵衛などヽ雲也、〉一何大夫と雲名は、五位になりたる人の名也、五位のくらいになりたる人お、大夫と雲也、〈たいうと、すみて雲也、だいぶと、にごるは又別也、〉されば、すべて五位の人お諸大夫と雲也、〈諸大夫と雲ふときは、だいぶとにごる也、〉たどへば源氏の人、五位に成たるは源大夫也、平氏は平大夫、藤原氏は藤大夫、橘氏は橘大夫、〈吉大夫も同前、橘と吉、同音也、〉清原氏は清大夫、三善氏は善大夫などヽ雲也、又太郎の人は太郎大夫、次郎の人は次郎大夫などヽ雲なり、
一伊織、小膳、多門、多宮、要人、蔵主、左膳、右膳、藤馬、求馬、久馬などヽ雲名お、東百官と雲、禁裏の官名に似たる故、百宮と雲成べし、京都の官名にあらざる故、東とは雲なるべし、平親王将門、下総の国に都お立し時、定たる官名也と雲は誤り也、古書に東百官の名付たる人見えず、近代関東の武士の名に、左門、伊織、藤馬、平馬など、いふ名あるによりて、東百官といひ習したるお、将門の定し官名なりと附会したる也、官名に似たるやうなるゆへ、東百官といふなるべし、