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年々随筆

今の俗名は、成功のなごりなるにつきておもふに、衛門兵衛丞允の外に、爵おもうられつとみえて、今昔物語に、田舎人、栄爵かはんとて、京へのぼりて、河原院にやどりて、女お鬼にとられし事みえたり、今某大夫となのるは、その余波なり、又諸寮の次官もうられつるか、某助となのる人もあり、某進は京職修理大膳の判官、其内は内舎人、これらは除書に常みゆ、内舎人は、かならず衛府お帯せし物にて、藤内左衛門、源内兵衛などいふお、時としてはこれおはぶきて、藤内、源内とばかりもいひしなるべし、これらみな成功の遺風にて、今もなのる也、某蔵といふは、佐々木源三、梶原平三などのやうに、三お言便に三(さう)といひし余波にて、蔵とかくは転訛なるべし、諸院の蔵人になりし事もあるにや、土岐十郎蔵人など太平記にみえしにや、もし此類か、某作某吉は、乱世になりての後、人の名の由諸おもしらで、おのが事好にまかせて、杜撰につきし也、源は杜撰なれど、三百年来、世あまねくつく事なれば、今においては子細なし、