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三養雑記

余一
むかしは第一の子お太郎、つぎお次郎といひ、それより三郎四郎と、十郎まで名つけ十一人めより余一余二と、次第に名くることなり、十は成数なれば、十郎よりは、あまりといふ意なるべし、盛衰記に、金子十郎家忠の弟金子与一、那須十郎資隆の弟那須与一なり、余お与に作るは仮借なり、平維茂お余五将軍といふも、十五郎たる故なり、源義経は第八子なるお、九郎判官といへるは、八郎為朝の成行よからざれば、八郎おいみて、九郎としたりとかや、曾我兄弟の兄お十郎、弟お五郎といふも、わけあることなり、むかしは兄弟の排行正しかるうちに、たま〳〵みだれたりとおもふも、みな故あることなり、