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阿邪名呼名考
阿邪名
そもこの太郎次郎八郎十郎などいへることは、そのもとは必ず定りたる字(あざな)のごとくにはあらで、今世に長男次男八男十男といへるがごとき意にて呼びそめたるものにて、さやうに用いたるはた多く書どもにみえたり、そは世継物語〈さま〴〵の悦の巻〉に、隻今の大殿は三郎にこそはおはしましけれ雲々、一条の右大臣殿は、九郎にぞおはしける、〈○中略〉などやうに用いたる猶あまたみえたり、さればかの字お太郎とも何太ともいへるは、その父の第一男なる義、次郎とも何二ともいふは次男、三郎何三は三男、十郎は十男、余一郎とも与一ともいへるは十一男、余三は十三男、与五郎与八は十五男十八男のことなるお、十一郎十八郎といはずして、余一郎余八郎としもいへりしは、十余一郎十余八郎の義にして、その十の字お省きたるものなり、されば余一余二と書くべきお、古より与一与二とかけるもあるは、たヾ音の同くて、かきよき文字お借用いたるものにて、異なる義あるにはあらずなむ、今のなべての世の人は、さることヽしも心得ぬげに、兄なる子にも、与一、与三、何十郎、何五郎など号け、弟には何太郎ともつくる類も、まれ〳〵あるは、むげに物え弁へぬ人々のことにしあめれば、いかヾはせむお、さる分際にはあらで、かの太郎次郎の次第など、よく心得ためる人々の、なか〳〵に、余一郎おば、何太郎の異称とや思ひとれる、慎一郎守一郎といふやうなる名も聞ゆる中に、わが太郎子おも、一郎などなづくる類も出来にけるは、何も昔の跡おばよくもたどらで、古のことおたヾ等閑に思ひすぐせる心ぐせにで、いと浅ましく口惜しきことなりかし、〈○中略〉
この太郎次郎などいふ字おしも、今俗間の人々は、生るすなはち号ることヽ思ひためれど、緑子の名などには、いと似つかずなむ有ける、故むかしの人々は、いと幼きほどは、まづふさはしき幼字おつけて、さて成長て元服おもしたらむ時に、実名と共にこそ、太郎次郎三郎などはつくる例なりけれ、