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閑散余録

仁斎〈○伊藤氏〉に五人の男子あり、五子ともに才学有て、家声お落さず、長(○)胤字は原蔵(○)、東涯と号す、又別に慥々斎と号す、長(○)英、字は重蔵(○)、梅宇と号す、初め周防の徳山毛利侯に仕へ、後備後の福山阿部伊勢侯に仕ふ、長(○)衡、字は正蔵(○)、介亭と号す、高槻の永井飛騨侯に仕ふ、長(○)準、字は平蔵(○)、竹里と号す、筑州の久留米有馬玄蕃侯に仕ふ、長(○)堅、字は才蔵(○)、蘭嵎と号す、紀伊侯に仕ふ、五子の次第此の如し、東涯は長子なるゆへ、京都の家お承て、仕途に就ず、弟四人は、右の如く各々儒業お以て、諸侯に禄仕せり、五人の中、東涯と末子の蘭嵎二人、経術文章、特にすぐれたる故に、京都の諺に、五蔵の頭尾と称せり、五蔵とは五人同じく、字に蔵の字あるがゆへなり、