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古事記伝
三十五
書紀、此命〈○反正〉御段に、天皇初生于淡路宮、於是有井、曰瑞井、則汲之洗太子時、多遅花落在于井中、因為太子名也、多遅花者今虎杖花也、故称謂多遅比瑞歯別天皇とあるは、事のまぎれたる伝なり、其は三代実録十二に、丹墀真人貞峯等上表曰雲々、〈○中略〉とあるに依るに、多遅花の故事は、此多治比古王の生坐し時の事なるお、此水歯別命の御名も多治比雲々と申せるから、此御事に誤り伝へたるなるべし、姓氏録丹治宿禰条にも、書紀の如く雲れど、彼は書紀に依てなるべし、抑書紀姓氏録お誤として、後なる三代実録にしも依れるはいかにと雲に、此命は河内の多治比に都坐(みやこしき)せれば、本より彼処に居住給ひて、其地名なることはいちじるしければなり、