[p.0688]
古事記伝
三十
此は謂大鞆別尊と雲べきお、亦御名と紛らかして、謂誉田天皇と誤りたる伝なり、〈又右の文の次に、細書に、上古の時、俗号鞆謂褒武多焉とあるは、かの誉田天皇は伝へのまぎれにて、大鞆別なることお弁へずして推当に注せられたるひがことなり、いと上代より、鞆は登母とのみこそ雲れ、さらに褒武多と雲しことは無きおや、〉