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甲陽軍鑑
九上
一夫信玄公、稚時の御名お勝千代(○○)殿と申子細は、御父信虎公、二十八歳の時、駿河くしまといふ武士、今川殿おかろしめ、結句甲州お取て、己が国に仕らんとて、遠駿の人数お引ぐして、甲州飯田河原まで来り、しかも六十五日あまり陣おはり居、其時甲州御一家の衆、悉身構おして、武田御家、既に滅却せんと仕る所に、信虎公の家老荻原常陸守と申大剛の武士、武略おもつて信虎公勝利お得給ふ、敵の大将くしまお討取たまひたる、某日の其時誕生有故、勝千代殿と、信玄公稚名おつけ申、