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源平盛衰記

成親已下被召捕事
西光は、天性死生不知の不当仁にて、入道〈○平清盛〉おはたと睨返して、〈○中略〉御辺の父忠盛は、正しく殿上の交お嫌れし人ぞかし、其嫡子にておはせしかば、十四五までは、叙爵おだにも賜らず、しかも継母には値たり、過がたかりければこそ、中御門藤中納言家成卿の播磨守にておはせし時、受領の鞭お取、朝夕に貲の直垂に縄絃(なはお)の足駄はきて通給しかば、京童部は、高平太(たかへいだ)と雲て笑しぞかし、其お恥しとや思給けん、扇にて顔お隠し、骨の中より鼻お出して、閑道お通給しかば、又童部が先お切て、高平大殿が扇にて鼻お挟たるぞやとて、後には鼻平太鼻平太とこそいはれ給しか、