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南留別志

一名乗お反すといふ事、何者のしはじめたる事なる、今の世には、王公大人の定れる法のやうになれるは、上おまなべぼなり、詞花集の比よりと聞ゆ、異国には、斉の明帝の、ことのほかに物おいまふ性にて、人の名おかへしたる事有、それは唐音にて、ひヾきのかよへるおにくめばさもあるべし、此国にては、和訓にてよむなれば、かヽるさまたげもなし、唯占術の一つになりて、人のまどへるなり、韻鏡といふ物は、唐音お正すべき為に作れる書なるお、うらかたの書のやうに覚ゆるは、おろかなる事のいたれるなり、韻鏡にのせたる字は、一音なる字多き中にて、近く聞なれたる字お一つ出せる事なれば、その字の義にてのみ、吉凶おさだむべきやうなし、一音の字多き内には、あしき義の字も有べけれども、とにかくに書面に見えたる字の義おのみとれるは、易の辞などのやうに心得たるにや、此故に今の世には、とほり字の同じくて、うまれしやうの同じき人は、皆同じ名のりなり、名乗のおこなはれぬ世なればこそ、かくにてもまがひなけれ、昔のごとく、姓と名乗にて世におこなはヾ、一万の人のあつまりたる都にては、同名の人の四百も五百もあるべきなり、