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四季草
秋草上/姓名
一名乗字お反すといふ事、上古には曾てなかりし也、日本には上古文字なし、人の名のりも口にていふのみにて、文字に書く事なし、文字にかく事なければ、名乗字お反すといふ事もなし、人皇十六代の帝、応神天皇の十五年〈即位より十五年也〉百済国より王仁といふ博士おめされけるに、十六年に、此方へ渡り来り、皇子兎道稚郎子、これお師として諸の書籍お学び給ひし由、日本紀に見えたり、これ日本にて、文字お読み書きするの始也、是より前に名乗字といふ物はなき也、切韻〈文字の昔お反す事也〉の学は、西域〈天竺の事〉より唐へ渡り来るといへば、日本へ渡り来りしは、人皇三十一代敏達天皇の御代、二たび仏法の渡り来し時〈是より前三十代欽明天皇の御時仏法わたる〉よりも、猶後にわたりしなるべし、夫より以前は、切韻の学なきゆえ、文字の音お反すといふ事なければ、名乗字お反すといふ事もなし、古代の書に、名乗字お反す事曾て見えず、中古盛にはやり出たる事也、何ゆえ名乗字お反すぞといふに、文字に五行の相生相剋の理おつけ、性に合ひ不合の吉凶お撰ぶ物忌ひより出たる事也、日本へ文字も切韻の学も、いまだ渡らざりし世には、名乗字お反して名付けたる人はなし、然れども名乗に因て、凶事に逢ひたりといふ事は、古書に見えず、物いまひする事、何の益もなき事也、〈○中略〉そのうへ主人貴人の御一字お賜はりて、我家の通り字と合せてつくる時、反り字が凶なりとて二字ともに改むる事はならぬ事也、凡そ人の身の上の吉凶は、名乗や判などに因る事にはあらず、我一心よりして吉おも凶おも招く也、武士たるもの、忠義の二お忘れずば、何事か恐ろしからむ、およそ名乗は、元服の日、烏帽子お著せて給ふ人より申受る事也、或は故ありて、主人貴人の御一字お申受くる事もあり、然るに今世は、陰陽師、又は出家などお頼みて、名乗字お反させてつくるゆえ、かの陰陽師出家などは、えぼし親に当る也、歴々の武士たる人、かれらがえぼし子となる事、口おしき事ならずや、