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老牛余喘
初篇下
実名
凡人の実名〈本字は名告と可書、今従俗、〉おつくるに熟字お用ひ、又よしある字お用ふる事もあれど、大かたは韻鏡お考へて、反切して其人の性にかなふ字おつくる事世の常なり、おのれ思ふに、字音もてよばむには、さもこそあらめ、訓おもて唱ふるものにしあれば、字音は反切して性にかなへども、訓の音は、性にかなはねが多かれば、益なき事なり、通称に用ふる名頭といふ物も、字音もてよぶ名に用ふるはかなへども、訓お用ふるはかなはず、たとへば富繁(とみしげ)の音は、水性にはかなへども、その訓はかなはざるがごとし、よておもふに、音もて唱ふる名頭は、性にかなひて、下には兵衛にても衛門にても、又は太郎次郎などにても、かヽはらぬがごとく、実名も、よみはじめの音だに性にあはヾ、〈たとへば火性に、貞の字お用ひても、さだと訓ては性にあはず、たヾと訓ば、かなふがごときこれなり、〉下はかヽはらずして有なむ物なり、これは世にしたがふ中の誤おすこしく正せるなり、まことは五行といふ事もなし、相生和剋もなし、しかれども久しく世の風となれヽば、さても有なむ、