[p.0722]
日本書紀
二十五/孝徳
大化二年九月、遣小徳高向博士黒麻呂於新羅、而使貢質、遂罷任那之調、〈黒麻呂、更名玄理(○○)、〉
○按ずるに、玄理は書紀集解孝徳天皇紀大化元年六月庚戌の条の傍訓にくろまろとあり、本づく所ありしならん、或はくろまさと訓せるは、後世の読法に似て、当時の名の如くならず、大化二年の黒麻呂の註に、更名玄理とあるは、其文字お、或は玄理とも作ると雲ふことにて、改名にはあらざるべし、此人は推古天皇十六年に玄理とありしに拘らず、大化二年三年に、黒麻呂に作り、大化五年白雉五年には、又玄理に作れるにて知るべし、此は日本書紀の書法にて、神代紀の月神の本註に、一書雲、月夜見尊、月読尊とあるが如し、皆書法の異なるお雲ふなり、さて玄おくろと雲ふは字音にて、舌内声の字の韻は、りるろ等と呼ぶなり、平群〈大和国郡名〉おへぐりと雲ひ、訓覓〈安芸国高島郡郷名〉おくるべきと雲ひ、胡満〈大伴宿禰〉おこまろと雲ふが如し、又理(り)は、ろの音に当てたるものにて、まの音お省きたるなり、宇合お馬養に当てたるが如し、