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筆のすさび

一通称之説 記事の文に、近代の人、諱しれざるは、何某右衛門、何某兵衛とかくべきは論なし、しかるお文字俚なりとて、弥三郎お単に弥と称し、又太郎お又、平右衛門お平とかきしあり、学びがてらに一話お記するごときはいふにたらず、記録史志の類ならば心あるべし、太郎次郎は、通用にそへて称するなれば、はぶきてもよしとせば、弥又は、親も三郎、子も三郎なれば、其子お弥三郎、又三郎などヽいふにて、弥も又も同じく通用の称なり、其人の名にはあらず、平右衛門源兵衛は、もと平氏の右衛門、源氏の兵衛なり、さればこれも名とはいひがたし、今時称謂みだれて、かヽるけぢめもなければ、せんかたなく何某右衛門、何某兵衛とかくの外なし.