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玉勝間

某屋(なにや)といふ家の号(な)の事
近き世、商人の家の号、おしなべて某屋といふ、それにいろ〳〵のしなあり、まづ酒屋米屋などいふたぐひは、其物おうるよしにて、こはふるくもいひしことにぞ有けむ、又大和屋、河内屋、堺屋、大津屋などのたぐひは、先祖の出たる国里の名也、又えびす屋、大黒屋などは、福神といふおもて、いはひたる也、又松屋、藤屋、桔梗屋、菊屋、鍵屋、玉屋、海老屋、亀屋などいふたぐひ、木草の名、うつは物の名、あるは魚鳥の名などもてつけたるは、風流たるおこのめるにて、これも中原康富記に、応永廿七年十一月七日手申、春日祭也、予依為分配、早朝南都下向、天蓋大路、亀屋著之、史員職行秀等、同宿也とあるお見れば、そのかみもはやく有しこと也、この亀屋は、旅人やどす家にや有けむ、さてこのたぐひの号は、もろこしの国にて、某堂、某亭、某軒、某斎などいふと同じこヽろばへなり、さる故に、むかしは商人のみならず、然るべき者も好みてつけたりと見えて、伊勢の御師といふものなどにも某屋大夫といふが多く有也、そはもと風流たるお好みてつけたる物なるお、あき人の家に、おしなべて某屋とはかくゆえに、今はかへりて卑き号となりて、先祖より伝はりたるおもいとひて、屋字お谷にかへなどすめり、さてかのもろこしの某堂某斎のたぐひは、物しり人風雅人なども、商人もかはることなくて、同じさまにつく事なるお、御国にても、まねびてつく人多き、それおばあき人の家の号に同じとて、いとふことなきは、からめきたるにまぎるればなるべし、しかるに近きころ、古のまなびするともがらは、その某堂某斎のたぐひは、からめきたるおうるさがりて、皇国ことばもて、つけむとするに、かの松屋藤屋のたぐひは、さすがにさけむとする故に、つくべき号なくて思ひわぶめり、或は某(なに)の屋と、のもじお添て分むとすれども、木草などのうちに、みやびたる名は数おほからねば、こヽにもかしこにも、同じことのみいでくめり、そも〳〵もろこしのは、多く二字おつらねてもつくる故に、いかさまにも心にまかせて、めづらしくつくべきお、皇国言は、二つかさねては、長くなりてよびぐるしければ、かにかくにつけにくきわざなりかし、