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玉勝間

いまだ世にある人のことに諡おいへる誤
太平記に、村上彦四郎義光(よしてる)が、大塔宮にいつはりかはり奉りて、みづから死なむとする時の詞に、我は後醍醐天皇の第二の皇子雲々といへり、其時は後醍醐のみかどは、いまだ世にまし〳〵しほどなるに、いかでか後の御諡おば申さむ、しるせる人のひがこと也、此たぐひ、からぶみにもあり、史記の田斉世家といふくだりに、斉国の人の歌に、嫗乎采芭帰乎田成子とうたへるよししるせり、成子といふは、田常といふ人の諡なるお、これも其人のいまだ存在しほどのこと也、左伝にも、此たぐひありしやうにおぼゆるお、そは忘れたり、