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古事記伝
十八
書紀に、諱彦火火出見とあるは、心得ぬ書ざまなり、〈○中略〉是お諱としも書れたるは、漢国の史どもに、某帝諱某と雲例に効てなれども、甚く事たがへり、皇国の上代の天皇たちの大御名は、諱と申すべきに非す、凡て尊むべき人の名お呼ことお忌憚るは、本外国の俗なり、名は本其人お美称ていふものにて、上代には称名にも多く名てふことおつけたり、大名持などの如し、されば後世万事、漢国の制に因たまふ代に至てこそ、天皇の大御名おば諱と申すべきなれ、上代のは、何れの御名も諱と申べきに非ず、仁賢紀に、諱大脚と記して、註に自余諸天皇、不言諱字、而至此天皇独書者、拠旧本耳とあり、此大脚お諱と書るも非なり、さて自余天皇には諱お言(まお)さずとあれば、此神武天皇の彦火々出見てふ御名も、古書には諱とはあらざりしお、撰者のさかしらに、然書れたること著し、さて上代には名お忌こと無ければ、伊美那(いみな)と雲も古言に非ず、諱字に就て設たる訓なり、又此字お多多乃美那(たゞのみな)と訓るも古書にあらず、是は称名(たヽへな)、諡(のちのな)などに対へて、唯何となき常の名と雲意にて設たる訓なり、