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槐記
享保十五年四月廿七日、或人某に問しに、天子の御諱おさくることは、古今通法なり、大臣の名お避ることも、これあることにや、東鑑に、判官義経が、後京極良経の名お避くること侍り、是は如何と申す、仰に、天子の諱は、一文字お犯すことも禁法也、大臣の諱は、其家の子孫家族は、子々孫孫までも避ること是其常也、又訓おさくると雲ことあり、たとへば文字に違て、訓同じければ、是おさくること又其法也、判官義経、後京極良経、其例なり、外様の人に同訓同字おつくこと、儘多きこと也、奏状達書等、数名お並べたるとき、太政官にて読上ることあり、其ときに同じ訓なれば、かへてよみ上ること、執筆の故実なりと雲伝へたり、