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時文摘紕
今の世の人、清国の人の文に、欠画おなせる事あるお見て、それにならひて 〓 〓など書く事あり、此は謹慎の事なれば、猶むべき事にはあらねど、皇朝には別に諱之の法ある事お考へずして、みだりに清人の所為にならふはいかヾあらん、今考に、続日本紀に延暦四年詔曰、臣子之礼、必避君父諱、比者先帝〈○光仁〉御名、及朕〈○桓武〉之諱、公私触犯、猶不忍聞、自今以後、宜並改避、於是改姓白髪部為真髪部、山部為山と見えたるは、先帝の御諱は白壁、延暦の御諱は山部なれば也、又此時山〈の〉辺の姓おば改められず、此はやまのべと、のの詞おそへて唱ふる姓なれば、避ざる事と見ゆ、又淳和天皇の御諱お大伴と申せしより、大伴の姓お改めて、伴となしたる事も有、かヽれば、古は、二名は偏諱せざる事明らか也、又職員令に、治部省、卿一人、掌国忌諱雲雲事、義解雲、諱〈は〉避也、言〈は〉皇祖以下名号、諱而避之也とある、これにて五世すぐれば、諱ざる事も明らけし、此は全く唐制にならはれたるもの也、但文字の画お欠く事も、顔真卿も碑帖などに、民お 〓などあるお見れば、唐より此法はありつれど、皇朝にては、此お用ひられざりし事と見えて、今もたま〳〵存する金石などの遺文に、其例ある事なし、されば二名お偏諱し、文字の画お欠くなどは、皇朝の制に無き事なれば、此お犯したりとて、不敬なりとてとがむべき事ともおもほえず、ことに今の世には、諱の事正しき制令も無く、官家の公文などには、さくる事は無き法なれば、あながちに事お好みて、下より其法お始めん事はあるまじき事也、又清国の学者の新意にて、孔子の名おさけて、丘字お口口などかける事のあるお見て、それにならふ人も世にあり、この孔子の名お避くといふ事は、心得ぬ事也、名おいむといふは、もと人情の上より出たる事にて、其死したる人のまぢかき世には、其名おいふに忍びざるよりいむ事也、されば礼に、舎故而諱新といふ事あり、鄭玄が注に、故〈は〉謂高祖之父当遷者也といひ、王粛が注に、故〈は〉謂五廟諱者とも見ゆ、五世すぐれば其名おいまざる事、聖人の定め也、礼は人情に本づきたるものなれば、五世以前の祖お、軽慢せんとにはあらねど、おのづから人情遠ざかるまヽに、五世以上おばいまざる事也、此にて聖人諱之の法お立たる本意明らか也、さるお清国の学者、此意にくらくして、みだりに千載の下より、孔子の名おさけんとするは、聖人の礼お制したる意に甚そむける事也、されば明国までは、孔子の名お避くといふ事は無りし也、たヾ文辞の上にて、其人おさしいはん時、孔丘など書んは不敬なるべけれど、他の文辞の上にて丘の字ありとて、それお避ん事あるべからず、我国にて此にならふ輩は、事の現非おも正さず、目なれぬ新奇なる事お好む軽薄の情より、本孔子お尊敬する心にてなすにはあらで、人に奇お誇らんとてなすわざなれば、かヽる類の事は、厭ふべく笑に堪へぬ事也、