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名字弁
婦人の名、ふるくは某刀自、某女、某子、某虫などいふぞおほかる、庶人には、某女といふ名多く見ゆ、されども名によりて、尊卑のけぢめありしにはあらず、続紀に、夫人正三位県犬養宿禰広刀自、従四位上和気朝臣広虫、従四位下久米連若女など、いとおほかり、又無位の人にも、藤原朝臣数子、紀朝臣若子などあり、さはいへど皇女たちは、皆某子といへば自〈ら〉尊〈く〉、某女といふは自卑きがごとし、さて字音によむ名も、一字名も、又三字四字のも、又男の名とひとしきも、又今世とおさおさかはらぬもあるなり、続紀に、河上忌寸妙観、藤原朝臣延福、藤原朝臣慈雲、岡上連綱、藤原朝臣影、忍海連致、安倍小殿朝臣堺、武生連朔、藤原朝臣長蛾子、県犬養橘宿禰三千代、橘朝臣古那可智、曾禰連伊賀牟志、石上朝臣国守、刑部勝麻呂、熊野直広浜、水海毘登清成、高市花、県犬養宿禰八重、忌部宿禰止 〓、吉備朝臣由利など見ゆ、又呼名と名のりとは別なり、思ひまがふべからず、名のりの事、末にいふべし、台記別記に、久安六年の台盤所日給簡の図あり、それに蔭子正六位上源朝臣行子、少将、次々に皆蔭子正六位上とありて、藤原朝臣信子、大夫、藤原朝臣忠子、少納言、藤原朝臣顕子、近江、藤原朝臣憲子、越後など、十三人の名、上に一列にありて、又下に是も蔭子正六位上とありて、藤原朝臣遠子、乎度女乃、藤原朝臣兼子、佐々礼石、藤原朝臣知子、松加波と一列にあり、古の婦人に、紫式部、清少納言、或は紀伊丹後などいふは、皆呼名なり、かくて後にいたりては、ひたすらに某子とのみ名づくる事にはなりたり、されば今世に婦人の名にさへあれば、呼名にも子の字おつくべきと思ふはかたよれり、まして字音の名に子の字おつけて、たとへば楊子席子とやうにいふは、かたはらいたきわざなりけり、