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傍廂
前篇

古今集の作者の中に、女の名竉、〈ろうあな〉また寵、〈ちようめぐむ〉又襲〈しふかさぬ〉とも三処ばかりありて、異本まちまちにてしれがたき名なり、さる故に、古人考へ得たる事おきかず、思ふに、この女の父か、夫か、兄か、内蔵寮の頭、助、允などの官の時に、内へ参りたる女にて、よび名お内蔵といひしお、草書にて 〓とかきしお写しひがめて、上の三字のごとくなりしならん、この女の常陸国へまかりける時に、藤原公俊によみてつかはしける時の歌に、
朝なげに見べききみとし(○○○○)たのまねば思ひたち(○○○)ぬる草まくら(○○)なり、とある二〈の〉句に公俊の名あり、四〈の〉句にさして行く所の常陸の国名あり、結句にみづからの名お入れしなるべし、すべて女のよび名はさらぬもあれど、大かたは父か夫かの官名およばるヽが多し、