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宇治拾遺物語

いまはむかし治部卿通俊卿、後拾遺おえらばれけるとき、秦兼久、行向ひて、おのづから歌などやいるとし思て、うかヾひけるに、治部卿いでいて物がたりして、いかなるうたかよみたるといはれければ、はか〴〵しき候はず、後三条院、かくれさせ給てのち、円宗寺にまいりて候しに、花のにほひは、むかしにもかはらず侍しかば、つかうまつりて候しなりとて、
こぞみしに色もかはらずさきにけり花こそものはおもはざりけれ、とこそ仕りて候しかといひければ、通俊卿よろしくよみたり、たヾしけれけりけるなどいふ事は、いとしもなきこと葉なり、それはさることにて、花こそといふ文字こそ(○○○○○○○○○○)、めのわらはなどの名にしつべけれ(○○○○○○○○○○○○○○○)とて、いともほめられざりければ、ことばずくなにてたちて、侍どもありける所に、この殿は、大かた歌のありさましり給はぬにこそ、かヽる人の撰集うけたまはりておはするは、あさましきことかな〈○下略〉