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愚管抄

建永の年、法然房と雲上人ありき、まぢかく京中お住所にて、念仏宗お立て、専宗念仏と号して、たヾ阿弥陀仏とばかり申べき也、それならぬこと顕密のつとめはなせそといふ事お雲出し、不可思議の愚痴無智の尼入道によろこばれて、この年のたヾ繁昌に世は繁昌してつよくおこりつヽ、その中に、〈○中略〉東大寺の俊乗坊〈○重源〉は、阿弥陀の化身と雲こと出きて、わが身の名おば、南無阿弥陀仏と名のりて、万の人に、上に一字おきて、空阿弥陀仏、法あみだ仏など雲名お付けるお、誠にやがて我名にしたる尼法師おほかり、はてに法然が弟子とて、かヽる事どもし出たる、誠にも仏法の滅亡うたがひなし、