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源平盛衰記
十九
文覚発心附東帰節女事
左衛門尉渡は、僧お請じ、剃髪、三聚浄戒お受持て、俗名に付たりし渡と雲文字にて、渡阿弥陀仏(とあみだぶ)とぞ申ける、生死の苦海お渡て、菩提の彼岸に届かん事お志、渡阿弥陀仏とも雲けるにや、遠藤武者も入道して、在俗の時の盛遠の盛おとり、盛(じやう)阿弥陀仏と雲けり、失にし女の骨お拾、後園に墓お築、第三年の間は、行道念仏して、不斜弔けるとぞ承る、去ばにや夢に、墓所の上に蓮花開て、袈裟聖霊其上に座せりと見て、さめて後歓喜の涙お流しけり、其後盛阿弥陀仏、日本国お修行して、求法の志最苦也、斯りしかば智者になり、盛阿弥陀仏お改て文覚と雲、