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塵添壒囊抄

人依名有吉凶事
人は名に依て吉凶ありと申は、実にさるべき歟、猶も可然事歟、一切の事、名字による事あるべき也、仲尼既に車お勝母の里に返し、渇お盗泉の水に飢給へり、誰か是お不爾と雲はん、名詮自性と雲ふ、されば玄昉僧正入唐して、淄州知周大師に逢て、法相宗お習ひ給しに、唐人、げんはうと雲同音の字に、還て亡ると雲訓ありと難じたりしが、帰朝後、筑紫観世音寺お供養せられける時、空より雷鳴下て、玄昉お提げて雲中に入りけるが、頭お興福寺唐院に落す、是太宰少弐藤原広継が所為也と雲々、松浦鏡の宮と雲は、広継お祝ふ社也、益信僧正に、本覚(○○)大師と雲諡号ありけるお、はく(○○)と反とぞありしが、果して山門〈○延暦寺〉の訴訟に、四大師の外にあるべからずとて、はがれ(○○○)給ふ、仍て南都より、慈恵僧正の大師号お、四大師に余とて、はぎ(○○)奉る、〈○中略〉又古へ有円(○○)と雲ける僧は、貧道至極に成て、飢餓(○○)の愁に沈て、厳因供奉おば、諸人呼誤て、げにん(○○○)供奉と雲しが、遂に人の下人(○○)と成と雲々、