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源平盛衰記
三十
大神宮行幸願附広嗣謀叛並玄昉僧正事
同〈○天平〉十八年六月に、太宰府観音堂造立供養あり、玄昉僧正導師たり、高座に上て啓白し給ひけるに、俄に空掻曇雷電して、雲高座に巻下し、導師お取て天に騰、次年の六月に、彼僧正の生しき首お、興福寺の南大門に落して、空に咄と笑声しけり、此寺は法相大乗の砌也、此宗は玄昉僧正の渡したれば、広嗣の悪霊玄昉お怨て、角しけるこそ怖しけれ、此僧正入唐の時、唐人其名お難じて雲、玄昉は還て亡と雲音あり、日本に帰渡て、必事に逢べき人也、隻唐土に留給へかしと雲けれ共、故郷お恋しかりければ、帰朝したりけるが、角亡けるこそ不思議なれ、