[p.0804]
類聚名物考
人物十八
作名 つくりな
名お隠して、かまへて作名おもて名のる事有、貴人高官の人、或は時に憚有る人のなすわざ也、揚名といへるも作名なれども、是は少しくその意異にして、我名おかへて雲ふにはあらず、〈○中略〉元謙光 兼明親王は、醍醐天皇の第二皇子、源姓お賜る也、源兼明親王の作名也、座右銘の作者に書れたり、是は即ち源お元、兼お謙、光お明に替へたる也、この例西土にも有、朱子晦庵の参同契の注に、作者お鄒斤と書れたるも、朱熹の音お借て替たる也、〈或は啓蒙翼伝には、朱子、名お人に托すれ共、鄒斤は人の姓名也とも雲り、但し陳献章〉〈字は白沙〉〈が集には、読朱晦庵注参同契詩あり、さればその比も、朱子の作名といふ也、〉
海内清 うんのうちきよ
西三条実隆公消遥院殿のかへ名也、物にわざとたはぶれに書給ふに有事也、
秋篠月清 あきしのヽつききよ
後京極良経公のかくし名也、揚名に書出されしが、あまり面白き名なれば、人もおぼえて、やがて御家集おも、月清集とぞいへりける、