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鶉衣
自名つく説
遁世の姿、すでに定まらぬ、さてはうき世の名にもあらじ、さるべき二字にあらためばやと、名お思ひ、字おえらむに、今は父母も世にまさず、官路もいとひ離れたれば、忠孝の字義おとらむも、跡のまつりとやいふべからむ、よし又四書古文の抜書もあまねく人の取尽し、まして帰去来のことばなど、あらゆる隠者のむしり取て、骨ばかりに喰ひちらしたる、さらば博識の門に乞はヾ、意味深長の二字もなどあらざるべき、されども夫は耳遠ければ、名はいかにと問聞かむ人の、とみに心得ぬ顔の口おしく、はね折の詮なき心地すれば、これは其書の誰が言なりなど、一人々々に講釈せんは、いとむつかしかりぬべし、菩提の道も疎ければ、西念浄蓮にても有るべからず、されば世の人のうへおみるに、金蔵といふも貧に責められ、万吉も不幸はのがれず、玉といふ下女、光もなく、かるとつけても尻重し、名はその人によらぬものかも、よしさらばたヾ調市走女も覚よく、娶も娘もかきやすからむおと、此日人のもとへ消息の筆にまかせて、たヾ暮水とは書きはじめける、それだに人の味ひて、これは何の心にて、それは此語によるならむと、蛇に足おそへ、摺小木に耳おもはやして、自然とふかき字義にも協はヾ、おれも又おかしかりぬべし、
へちまとはへちまに似たで糸瓜哉