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当世武野俗談
新吉原松葉屋瀬川
新吉原江戸町松葉屋半右衛門抱、瀬川といふ傾城は、十け年以来は、五丁町に並ぶ方なき全盛なり、〈○中略〉寛文の頃には、小紫は能く和歌の道に達し、不断敷嶋の道お尋ね、風雅にして心やさしく、世上こぞつて、偏に石山寺の観世音にて、源氏六十帖編集したる紫式部にも似たりとて、其名お小紫と号けしとなり、〈○中略〉又嶋原の吉野は、初め浮船と名乗しお、或春郭桜の花盛お見て、嶋原寵中の吟とて、
こヽにさへさぞな吉野は花ざかり
と雲ふ名句有りしゆえ、これより世に吉野と呼ばれける、