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経済録
九/制度
名と雲は、隻今の名乗也、字と号は、日本人に本来是なし、学者に字号あるは私事也、古は公家武家庶人も、常に名お称せしに、近世に及て、彼是に称する官名お、常に称するならはしに成て、何となく名お称すること廃して、今は但公家にのみ、古風お不失して、常になお称するなり、されば親戚朋友の間にても、互に其名お不知、朝廷の礼式にも、名お称することなく、国家の記録にも、名お書することなき故に、官名計お書付けたるお見ては、誰某と雲こと分明に知れず、近世の風俗にて、官名お父子代々、相襲すること多く、又同族の中にて、昨日迄、彼人の称せし官名お、今日此人称することあり、譬ば前に松本侯お水野日向守と、名乗しに、松本侯亡て、結城侯又水野日向守と称する類也、殊に松平氏は、諸侯以下に甚多ければ、一の宮名お彼方此方にて称すれば、其苗字と其官名とお聞る計にては、誰と雲ことお弁へ知べき様なし、箇様の類、名お称せずして、官名お称し、朝廷の文書記録等にも、なお書せずして、官名のみお書ては、其年の内にも混乱して、知難きことあり、五年十年の久き年月お経ては、決して誰某と雲こと知ざるべし、如此にては記録何の用に立べきや、是大欠典也、今世にも、公家は猶古お存して、常に名お称す、家には近衛九条等の称有ども、一人の称に非ず、大臣納言等の官は、一人の官に非ず、且自己より称するに名お称せず、家号又は官名おも称べき義なし、人より呼には、官名おも家号おも称するなり、公家のみに非ず、賀茂の神主等も、常に名お称すこと、公家と同じ、賀茂に詣しとき、禰宜等の伺公する番所お見たりしに、長き板に、敷多の禰宜の名お書て掛たる有、上に従五位下、正六位上等の爵位お書し、下に賀茂某抔と姓名お書せり、彼等は家に苗字あり、左近兵部抔と雲官名も有て、常に称るには、苗字と権の官名お唱へ、鴨脚民部、梨木左京など雲へども、社頭の名籍には、是お不書、隻位階と姓名計りお書するお、日本の古法お失はず、中華の礼にも合へり、又伶人にも苗字有、官名有て、常には是お唱れども、音楽管絃の目録には、隻姓名お書こと、賀茂の神官の如し、是古風お存せるいみじきことなり、願くは武家も、かく有まほしき也、凡諸侯以下の人、県官に謁見し、其外臣民の君上に謁見し、士大夫の初見するに、苗字官名の下に、必名お連て称すべし、凡進物の日録にも、貴賤となく、必名お書べし、国家の記録、朝廷の文書お始め、士庶人、平日の書札にも、必名お書すべし、総じて、平日の交に、自己より称するには、必名お雲こと、公家の如くなるべし、如此ならば、吾人の名、世に通行の人の名おも互に記億し、苟且の筆札にも、名存すべければ、歳月お経ても、其人体紛るヽことなかるべし、今の世には、名お称することなき故に、親戚朋友の交にも、一生其名お知ざること多し、凡天子より士庶人に至迄、名乗の外に、真の名有ことなし、世俗名乗お実名と雲にて知べし、名乗と雲も、自己より称すべき名目也、