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安斎随筆
前編一
一人名唱以字音 世に名高き人の名おば、字音おもつて唱ふ、たとへば道風おば、たうふう、俊成おば、しゆんぜい、定家おば、ていか、家隆おば、かりうと唱る類也といふ説あり、按ずるに、むかしより如斯ありしにや、古今著聞集〈巻十六興言利口の部〉壬生二品家隆の家にて、ある人の子お男になす事侍り、〈○中略〉名おば何とか付けべきなど沙汰しけるお、〈貞丈雲、えぼしおやが、えぼし子に名お付るなり、〉あつみの三郎為俊といふ田舎さぶらひ聞て、進み出で言けるは、此殿が、〈貞丈雲、此殿とは家隆の家おさして雲なり、〉御一家は、みな隆の字おなのらせ給へば、いへたかとや付参らせらるべけんと、ゆヽしくはからひ申たりげにいふお、人々わらひのヽしる事かぎりなし、為俊が父図書允為弘聞て、いかに女ふしぎおば申ぞ、殿の御名乗おしりまいらせぬか〈○中略〉といはれて、さも候はず、殿の御名のりおば、かりうとこそしり参らせて候へ、世にも亦さこそ申候なれとぞ陳じたりける、〈○中略〉是常に自他共に、かりうとのみ雲習したるゆへ、為俊が、いへたかと雲事おば、知らざりし也、名お音に唱ふることは、上古にはなかりし也、人丸お、にんぐはんといはず、赤人お、しやくにんと雲はず、是にて知るべし、時平大臣お.しへい(○○○)のおとヾと雲ひ伝へたるは、延喜の頃よりの雲習はし歟、さらば其頃より、音に唱る事ありし歟、